[事例] 粉飾決算事件

 ある銀行の役職員による虚偽有価証券報告書提出,違法配当事件がありました。一審と控訴審は有罪,最高裁で無罪が言い渡されましたが,無罪が確定するまでに起訴後約9年間を要した事件でした。被告人らは,捜査段階では起訴事実を認める供述をしていましたが,一審公判段階から,違法な決算処理や違法配当はしていない旨,起訴事実を否認するに至りました。

 この事件の特殊性は,過去の粉飾決算事件にみられる架空売上の計上や債務の隠蔽等の積極的な不正操作を行ったものではなく,不良資産の評価,具体的には,貸出金等の償却引当をしなかったことを犯罪として捉えたことと,当時の世論が銀行経営陣の刑事・民事の責任追及を求めていたこと等にありました。

 本件においては,違法配当等が行われたとされる決算期における「公正なる会計慣行」がどのようなものであったかが熾烈に争われました。
 少し専門的になりますが,旧商法285条の4・2項は,「金銭債権に付取立不能の虞あるときは取立つること能わざる見込み額を控除することを要す」と規定していましたが,取立不能見込額についてどのような基準により判断すべきかについては旧商法に明示的な規定はありませんでした。そこで,その判断基準については,旧商法32条2項に「商業帳簿の作成に関する規定の解釈に付いては公正なる会計慣行を斟酌すべし」と規定されていたことから,本件当時の「公正なる会計慣行」の内容が問題となったのですが,本件決算期の前年に大蔵省の基本事項通達が改正され(新基準),従前の慣行・実務よりも不良債権の償却引当が厳しく求められることになったので,本件決算処理に当たり,新基準に従うべきか,旧基準による処理も許されるかが,問題となったのでした。

 検察官は,新基準が唯一の「公正なる会計慣行」であると主張し,一審,控訴審は検察官の主張どおり認定し,被告人らに有罪判決を言い渡しました。もっとも,控訴審判決は,「被告人らは,自分たちの行為が虚偽有価証券報告書提出罪,違法配当罪に当たり,刑事責任を問われることになろうとは考えていなかったと思われ,自分たちの行為の違法性について錯誤があったことになるが,配当すべき利益がなかったこと等を認識していたことは認められるので故意の成立に欠けるところはないというほかない」と述べています。

 最高裁判所は,(1)新基準は,大枠の指針を示す定性的なもので,具体性や定量性に乏しく,特に関連ノンバンクに対する貸出金についてまで資産査定を厳格に求めるものであるか否か自体も明確でないこと,(2)新基準の目指す決算処理のために必要な措置(セーフティネット)が導入されていなかった本件当時において,新基準に従った決算処理をすると,銀行経営が危たいにひんする可能性が多分にあったこと,(3)多くの銀行では,少なくとも関連ノンバンクに対する貸出金に関する資産査定に関して新基準によるべきものとは認識しておらず,同基準はその解釈,適用に相当の幅が生じるものであったこと等から,これまで「公正なる会計慣行」として行われていた旧基準の考えによって関連ノンバンク等に対する貸出金の資産査定を行うことをもって,直ちに違法であったということはできないとして,被告人らに無罪を言い渡しました。

 本件被告人らは,違法配当を行ったとして損害賠償請求訴訟の被告にもなっていましたが,民事訴訟においては,一審段階から請求棄却の判決が言い渡され,いわば「無罪判決」が出されていました。理由は,新基準が唯一の「公正なる会計慣行」となっていたとの原告らの主張は認められないということでした。一審,控訴審は,刑事事件が民事事件に先行して審理されていましたが,最高裁において,同じ日に,刑事事件の無罪と民事事件の上告棄却が言い渡されたのでした。10年間近く被疑者,被告人,被告の立場に立たされた役職員の方やそのご家族の心情・苦しみは察するに余りあります。

 検察官としては,改正前の決算経理基準(公正なる会計慣行)がどのようなものであったのか,新基準は,旧基準による処理を一切認めない内容のものであったのか,他の銀行は本件と同時期の決算に当たり,どの基準に基づいて決算処理をしたのか等について慎重に捜査した上で,立件の可否,要否を検討すべきであったと思われます。特に,法令によらず通達等の改正で法改正が行われたのと同一の結果となり,それに反すると刑事責任をも問われることになるような事案の場合には,その通達等の規範性に関する判断は厳正かつ冷静に行われるべきであると思われます。
 また本件は,弁護人としても強制捜査着手前にいかなる弁護活動ができたか,また,すべきであったか,法廷における戦術は最良のものであったか等を考える上で,大変参考になる事件だと思います。