決裁・指導を受ける側の心構え

 部下を育てる上司と潰す上司について前に見ましたが,決裁・指導を受ける側の心構えについて考えてみたいと思います。

 検察官や事務官に成り立てで右も左も分からないうちは別ですが,ある程度経験を積んだなら,自分が正しいと考えることにはこだわりを持ってほしいと思います。ただの頑固者になれというのではなく,自分なりの正義を貫くよう頑張ってほしいということです。上司のいうことが明らかにおかしいときには,その指示に従う必要はないと思います。上司を説得すべきですし,それができずになお納得できない場合には,さらにその上級の上司のところで議論すべきです。上司には嫌われると思いますが,自分の正義や良心を曲げるよりはいいでしょう。もちろん自分の判断が間違っていたと分かった場合はすぐに考えを改めるべきです。検察官は,法と証拠に基づいて仕事をするのであって,それに間違いがないのであれば,安易に上司に従ったり,妥協してはいけないということです。若い頃からそういう考えを持っていないと,何でも上司のいうことに従う胆力のない検事になってしまうでしょう。

 最近若手の弁護士から気になる話を聞きました。彼が修習生のときの検察修習での話です。ある法律問題について,指導係検事と検討してAという結論がでたので,部長の決裁を受けに行くと,部長は,Bという結論であったので,指導係は,「それではBということで。」といって結論を変えました。次にBという意見を持って次席検事の決裁を受けに行くと,次席は,Aという結論であったので,指導係は部長にその旨報告したところ,「それではAということで。」といって結論が変わりました。最後に検事正の決裁を受けに行ったところ,検事正は,「こんなものBに決まっているだろう。」といいました。すると次席以下指導係まで,さしたる議論をするわけでもなく,Bという結論に変わってしまったということでした。そういう様子をみて修習生であった若手弁護士は,「上司に迎合せざるを得ないこの人たちには目に見えない圧力がかかっているのだろう。大変だなあ。」と思ったということでした。上ばかり見ているヒラメのような生き方をしていると,若い人からも哀れみを買うようなことになってしまいます。

 余談ですが,私は,新任検事のとき,ある事件の決裁で検事正室に呼ばれて,何だろうと思い顔をだすと,検事正から,「検事正室に呼ばれて何か文句があるのかという顔で入ってくるのはお前だけだそ。でも今後もそれでいいから貫け。」といわれ,「この顔は生まれつきで,別に文句があるわけではありません。」という会話をしたことを今でも覚えています。私は普段仏頂面なもので,ずっと同じような誤解を受けつつ損な検事生活を送りましたが,この検事正の言葉はよく思い出していたものでした。同じようなことがもう一度ありました。証券取引等監視委員会特別調査課に出向していたとき,ある女性委員と昼食を摂っていると,「あなたは,いつも面白くないというお顔をされていますね。」といわれたことがありました。そのときも私は,「これは生まれつきですから,ご不満があれば,親にいってください。」と答えました。 

 現場が正しい判断をしているのに上司や上級庁からそれとは異なる指示が降りてくることもあるでしょう。
 たとえば,警察が主体となって捜査を行っている重大事件があったとします。地検の現場の検事や直属の上司は,その事件については証拠が不十分で警察が主張する特定の人物を逮捕・起訴することはできないと判断し,その旨警察に伝えていたところ,上級庁から「逮捕させてやればいいのではないか。起訴するかどうかは別の問題なのだから。」との指示というかアドバイスがなされることがあるわけです。地検は,警察の主張にも一理あり,逮捕勾留して捜査し,起訴するに足りる証拠が集まらなければ釈放すればよいとのぎりぎりの判断をして逮捕を了承したところ,結局十分な証拠は得られませんでした。すると今度は上級庁から,「逮捕した意味は重い。これは起訴すべきではないか。」という指示というかアドバイスが降りてくることもあるわけです。場合によっては,最上級庁の幹部が直接現場まできて,「声」を発することもあるでしょう。「私がきた意味を分かっていただきたい。」などと大幹部がいうかもしれません。しかし,証拠がなければ起訴することはできないので,現場はここは譲ることができませんから,上級庁にも起訴はできない旨報告し,釈放することになります。
 こういう事例では,警察と検察の幹部による何らかの政策的配慮が働いたことが推測されます。この手のわけの分からない「声の主」は,それが間違いであっても絶対に責任は取りません。検察は,法と証拠に基づいてのみ事件の捜査・処理をすべきものですから,このような声に惑わされてはいけないと思います。
 逆にたとえば,地検の現場がやるき満々で,高検の決裁も終えて,最高検まで強制捜査着手の了承を求める事件報告が上がってきたとします。最高検が検討してみると,今後どのような証拠が集まろうと起訴できるとは到底思えないので,着手には反対である旨高検を通して指揮するということが起こり得ます。本来高検の段階でチェックすべき事柄ですが,素通りして最高検まで上がってくることもあるということです。こういう場合でも最高検の指示に納得できなければ,さらに議論を行うべきであることはいうまでもありません。

 決裁というのは,いろいろな場面・段階で,右を向けとか左を向けとか,いろいろな方向から,いろいろな方向に向けての意見がでるもので,大変やっかいな問題ですが,法と証拠だけに基づいて行われるべきものですし,若手の能力を育てる適切な決裁が行われることが極めて重要です。
 そして,決裁を受ける側の捜査官は,不当な決裁や指揮に従ってはいけないと思います。自分の判断が間違っていることに気付いたなら上司,上級庁の指示に従うべきですが,不当な指示や圧力に屈してはいけません。これは「検察の理念」にも書かれています。

 少し話しは変わりますが,遺族の要望や世論も大きな圧力になることがあります。遺族らの声は,ときに法律を改正させたりする力にもなります。被害者やその遺族の気持ちを最大限汲み上げ,捜査処理・公判に反映させることは当然のことであり,多くの法制度がすでに設けられています。また,捜査の状況や処分の理由について,できる限り丁寧に説明することも必要です。
 しかし,検察官は,法と証拠に基づいて捜査処理・公判を行わなければならず,遺族の要望を実現するといっても限界が存在するのであって,いくら苦しくてもこの境界だけは超えてはいけません。誠実にそして冷静に行動することが求められます。