[事例] 痴漢事件・強姦事件

事例1

 被告人は,朝の満員電車内で,17歳の女性の下着の中に左手を入れて陰部を触ったとして強制わいせつの罪で起訴され,一審,二審とも客観的証拠はなかった(被告人の手指に付着していた繊維の鑑定が行われましたが,女性の下着に由来するものか不明でした)ものの,女性の証言に信用性を認め,被告人に実刑判決を言い渡しました。
 女性は,満員電車の中で被告人と向き合った状態で陰部を触られ,途中駅で他の乗客とともに一旦ホームに押し出され,再び他の乗客とともに電車内に押し入れられると,前と同じような状態で被告人と向き合うことになり,また陰部を触られたので下車駅に着く直前に被告人のネクタイをつかんで「電車降りましょう。痴漢したでしょう。」といった,などと証言しました。最高裁は,被告人には前科前歴がなく,この種の犯行を行う性向をうかがわせる事情はないので,女性の供述の信用性判断は特に慎重に行う必要があるとした上,

  1. 女性が述べる痴漢被害は,相当に執拗かつ強度なものであるのに,女性は回避行動をとっていないこと
  2. そのことと,女性がネクタイをつかんだという糾弾行為とはそぐわないように思われること
  3. 女性が途中駅で一旦下車しながら車両を替えることなく再び被告人のそばに乗車しているのは不自然であること

などを勘案すると,途中駅までに女性が受けたという痴漢被害に関する供述の信用性には疑いをいれる余地があり,その後に受けたという痴漢被害に関する供述の信用性についても疑いをいれる余地があるので,被告人が犯行を行ったと断定するには,なお合理的な疑いが残るというべきであるとして,無罪を言い渡しました。
 この裁判に関与した最高裁裁判官は5名で,うち2名の裁判官は,反対意見で,原判決が女性の供述の信用性を認めたことに論理則・経験則違反は認められないとしています。つまり,3対2で無罪となったわけです。

 

事例2

 被告人は,ある日の午後7時過ぎに駅前の路上で,18歳の女性に「ついてこないと殺すぞ」などといって脅迫し,同所近くのビルの階段踊り場まで連行し,女性を壁に押しつけ右足を持ち上げて無理矢理姦淫したとして強姦罪で起訴されました。被告人は,報酬の支払いを条件に女性の同意を得て,本件踊り場まで一緒に行き,手淫をしてもらって射精したものの,現金を渡さないで逃走したことは間違いないが,脅迫・暴行,姦淫はしていないとして事実を否認していました。一審,二審とも女性の証言は信用できるとして実刑判決を言い渡しました。

 最高裁は,暴行・脅迫,姦淫を基礎づける客観的証拠は存在しないので,女性の供述の信用性判断は特に慎重に行う必要があるとした上,

  1. 女性は,「駅前付近の路上で,被告人からカラオケ店の場所などを聞かれて答えていると,突然『ついてこないと殺すぞ』といわれ,服の袖をつかまれ,恐怖で頭が真っ白になり,変に逃げたら殺されると思って逃げることもできず,被告人が手を放した後もビルの階段まで後ろをついて行った」と供述するが,その時間帯は人通りもあり,近くに交番もあり,駐車場には係員もいて,逃げたり助けを求めることが容易にできる状況にあったのに,そういうことをせずに脅迫等を受けて言われるがまま被告人の後ろを歩いて行ったとする女性の供述は不自然で容易には信じ難い。
  2. 女性は,「本件現場で姦淫される直前にすぐ後ろを警備員が通ったが,涙を流している自分と目があったのでこの状況を理解してくれると思い,それ以上のことはしなかった」と供述するが,当時の状況が,声を出して助けを求めることさえ不可能なものであるかは疑問であり,強姦が正に行われようとしているのであれば,女性の対応は不自然というほかなく,この供述内容も容易に信用し難い。
  3. 女性は,「被告人に右足を持ち上げられた不安定な体勢で立ったまま無理矢理姦淫された」と供述するが,わずかな抵抗をすればこれを拒むことができる体勢であるし,姦淫が不可能ではないにしても容易ではなく,姦淫が行われたこと自体疑わしい。加えて当日採取された女性の体液からは精液の混在は認められなかったし,傷ができているなどの姦淫を裏付ける事実も認められなかった。
  4. 女性がコンビニエンスストアのゴミ箱に捨てたと供述する破れたパンティストッキングは,本件直後の捜査によって発見されていない。コンビニで新しいパンティストッキングと一緒に購入した品物についての女性の供述に変遷が見られる。このように姦淫行為に関する女性の供述は,不自然さを免れず,姦淫行為があったとするには疑問がある。
  5. 他方,被告人の上記弁解については,被告人は本件後に上記弁解と同様の行為をして警察の事情聴取を受けた事実が認められ,携帯電話中に保存された写真の中にはそうした機会に撮影されたと見られるものが相当数存在することなどの事情を考慮すると,たやすく排斥できない。

等の諸事情があるにもかかわらず,これらについて適切に考慮することなく,全面的に女性の供述を信用できるとした一審及び原判決の判断は,経験則に照らし不合理であり是認できず,被告人が本件犯行を行ったと断定するには合理的な疑いが残る,として無罪を言い渡しました。
 この裁判に関与した最高裁裁判官は4名で,うち1名の裁判官は,反対意見で,一審,原審は多数意見が指摘するような問題を踏まえて2度にわたる女性の証人尋問や被告人質問を含む事実調べを行って慎重に判断したものであって,その判断内容も経験則に照らし不合理な点はないとしています。つまり,3対1で無罪となったわけです。

二つの事例について

 私は,上記2つの事件の記録を読んだわけではなく,被害者とされる女性の生の証言内容も分からないのですが,最高裁の判決文を読んだ限りでの感想をいえば,事例1については,「最高裁の少数意見がいうように女性の供述は特に不自然・不合理ではなく,原判決の判断に経験則違反はないのではないか」と思いましたし,事例2については,「一審,控訴審はこのような証拠でよく有罪にしたものだ。最高裁の多数意見がいうとおり原審の信用性判断には経験則違反があるといわざるを得ないだろう」と思いました。今これをお読みになった方はどう判断されたでしょうか。
 事例1についていえば,朝の満員電車に乗ったことがあり,女性の気持ちを想像できる人であれば,女性の証言に不自然な点はないと判断するのではないでしょうか。
 事例2については,女性の供述の裏付けができなかったようであり,供述内容自体も不自然に思えますので,起訴するのは難しい事案であっと思います。
 なお,事例1の多数意見は,原判決に論理則・経験則に違反する点があると明確に指摘することなく,女性が受けたという痴漢被害に関する供述の信用性について疑いをいれる余地があるとしているにすぎないように見受けられ,最高裁の審査の在り方に照らして不十分な判決ではないかと思われます。

 いずれにしても,両事件とも最高裁の裁判官の間でも有罪・無罪の判断が分かれた事件であったわけで,「疑わしきは被告人の利益に」という原則の根底に流れる考え方からすれば,無罪という結論は正当であると思います。
 証拠の評価や事実認定は難しく,死刑か無罪かという究極の判断が要求される事件もあるわけですから,法曹三者とりわけ裁判官と検察官には事実認定能力を涵養してほしいと思います。