捜査能力の低下と決裁

 どこの組織でも同じでしょうが,検察庁にも決裁制度があります。東京・大阪などの大規模な地方検察庁には,副部長・部長・次席検事・検事正という決裁官が置かれ,中規模庁には,部長・次席検事・検事正,小規模庁には,次席検事・検事正という決裁官が置かれています。決裁制度には,誤った処分を防止すること,処分が不公平にならないように処分の公平性・統一性を図ること等のほかに,決裁の場面において,ベテランの検察官(上司)が,経験不足の若い検察官等(部下)を指導・教育し,部下を一人前の検察官等に育てるという大きな役割があると思います。
 そういう重要な役割を果たすべき決裁官が,逆に検察の能力低下の原因を作っているのではないか,ということについて考えてみたいと思います。

 我々の若い頃にも上司・先輩から,「今の若い検事連中はだめだ。捜査能力が落ちている。」などといわれたものでしたが,これと同じようなことはその後もずっといわれ続けてきました。これが何を意味しているのか,難解な問題ですが,ずっと「昔と比べ捜査能力が落ちている」といわれ続けているということは,理屈的にはずっと捜査能力が落ち続けていることになりますので,逆数(y=1/x)のグラフのような感じでしょうか。x軸に年代を取り,y軸に捜査能力を取ると,年代が進むに連れて捜査能力は0に近づいていくことになります。
 しかし,これは理屈的にそうなるということであって,実際には,そんなことをいっている上司・先輩よりも,能力もやる気もある検察官,検察事務官は少なからず存在するわけで,能力のある人たちが決裁官になって部下を育てていけるなら,そう心配することもないということになります。捜査官にも出来,不出来はありますから全部が「出来る捜査官」になるというわけにはいきませんが,1人の決裁官に最低でも数人の部下がいることを考えれば,その部下のうちの1人でも2人でも「出来る決裁官」として育てることができれば,全般的な捜査能力の現状維持くらいは可能となるのではないかと思います。

 ところが,捜査ができない検事が決裁官になってしまうと事情は変わってきます。そういう「だめな決裁官」の下に,やる気も能力もある検察官や事務官が入ると,せっかくのやる気を削いでしまったり,能力がそれ以上伸びなくなったり,場合によっては辞職したりする事態が発生してしまうことになります。捜査経験のない,だめな検事でも決裁官にせざるを得ないという,人材不足の状態に今の検察は陥っているのではないかと思えてしまうのですが,これが杞憂であることを願うばかりです。

 たとえば,立証が難しそうな詐欺の告訴事件があったとします。若い検事が,警察なり被害者の話を聞いて,被疑者とされる人物はそうとうな悪人であり,捜査に困難が伴うことは想定されるけれども,被疑者の供述がなくても詐欺は立証できると判断し,被害者を助けるため,あるいは無念を晴らすために強制捜査に着手したいと考え,上司のところに報告に行ったとします。
 ある上司Aは,若い検事に「この点とこの点の証拠が不足しているから,証拠収集しなさい。この点は判例上どうなっているかよく調べておくように。それがクリアできれば強制捜査に着手していいぞ。頑張れ。」と指示することがあるでしょう。別の上司Bは,「そんな問題点がある事件をどうしてやる必要があるんだ。苦労するだけではないか。無罪にでもなったら,君の評価は下がってしまうよ。検察も批判されかねないぞ。余計なことはする必要がない。」ということがあるでしょう。上司Bの考えにも,もっともだと思われる点はありますが,こんなことばかりいわれたら,能力とやる気があればあるほど検事の仕事がばかばかしくなってしまっても仕方ありません。実際にやる気をなくして辞めた検事を私自身知っています。
 やる気も能力もない検事は,上司Bの方が好きでしょうし,人材不足の中,こういう検事ばかりが決裁官になってしまうと,逆数のグラフが完成してしまうおそれが生じるわけです。
 最近現場の警察官から,「告訴事件の強制捜査に着手したいという事前相談を検事にしても否認事件だとなかなかゴーサインがでなくて困っている。今の担当検事は前向きな人でいいが,前の担当検事は文句ばかりいって事件を受けてくれないので,事件が溜まるばかりで辟易した。自白調書を取ってから相談にこいという検事もいる。」といった話を聞いたことがあります。これでは,悪いやつは助かり,正直者がばかを見る社会になってしまいます。

 また,たとえば,簡単な無銭飲食事件があり,被疑者が現行犯逮捕され,身柄付きで送検されたとします。被疑者に前科前歴はなく,「飲食代金を払うときに,はじめて現金がないことに気付いた。初めから払うつもりがなかったわけではない。」と弁解しています。若い検事は,釈放して弁償させればいいと考え,上司のところに相談に行ったとします。
 ある上司Aは,「住所もはっきりしているようだから釈放でいいよ。ちゃんと弁償させなさいよ。」と指示することがあるでしょう。別の上司Bは,「否認しているのに釈放などとんでもない。勾留して本当に弁償したら釈放しなさい。」と指示することがあるでしょう。
 私は,無銭飲食などというものは債務不履行に毛が生えたような違法性しかなく,同種前科前歴がないような場合には,原則として刑事罰を加える必要はないと考えていますので,上司Aの考えに賛成で,つまらない事件に強制権力を行使しようとする上司Bの考えには賛成できません。上司Bの部下である検察官がこれが正しい捜査方法だと思ってしまうと将来が不安になろうというものです。

 それでは,上司Bは,なぜ上司Aとは異なる指示をするのでしょうか。司法試験に合格して検事に任官したわけですから,上司Bにもそれなりの能力や法律知識はあるはずです。私は,上司Bが若い頃からいろいろな事件捜査の経験を積んでこなかったことが一番の原因だろうと思います。若手の頃から簡単な事件も困難な事件も数多く経験し,成功,失敗をする中で,事件捜査の手順・証拠の収集方法・共同捜査のやり方・物読みの仕方や魅力等を学び,当該事件のポイントやいわゆる筋を読む力・証拠の証明力を正しく評価する力を磨き,捜査を行うことに対する自信・胆力を得,未経験の事件に取組むことの魅力を体感し,法律・判例の検討の仕方,社会常識とそれに反しない捜査処理の在り方等を少しずつ身につけていくことが必要であると思います。十数年間,真剣に自ら捜査・公判を行うことでやっと決裁官になる資格ができるのだろうと思います。
 上司Bにはこのような経験がないため,何をどう指揮・指導したらいいか分からず,難しい事件には腰が引けてしまい,法律論や証拠上の問題点を殊更指摘することで事件を潰し,困難な状況から逃げようとしているのだと思います。逆にどうでもいい事件については経験があり,不適切に強気な指示をだしてしまうのだと思います。
 他方,上司Aは,経験を積んで捜査に自信を持っているように思えます。こういう決裁官に若手を指導して能力向上に尽力してほしいものです。

 組織的な問題を考えるなら,適切な決裁・指導ができるのは地方では検事正くらいしかいないので,検事正が若手検察官を直接,厳しく指導すべきであると思います。決裁を次席検事任せにして外部との付き合いや検察のPR活動などをしている検事正が話の分かる検事正だなどと思われているようでは捜査・公判能力の向上は望むべくもありません。
 もっとも,若い頃から法案の作成や国会対応ばかりやっている人がいきなり検事正になっても法律論以外のまともな指導はできないでしょうから,検事正には実務経験豊かな検事を充てるべきであると思います。

 なお,決裁官は言葉遣いに注意が必要です。厳しい指導は必要ですが,やたら大声をだしたり,部下の人格を傷つけるような言動をしてはいけません。決裁官が感情的になるのもいただけません。
 そして,決裁官は,自分が決裁した事件については責任を持たなければなりません。成功したら自分の手柄とし,失敗したら部下の責任にするなどといったことを決してしてはなりません。決裁官の責任は重く,だからこそ給与も多くもらえるわけで,「同じ給与をもらうなら,なるべく楽な仕事をした方が得だ。事件などやらない方がいい。」などと考えている人は,とっとと検事を辞めた方がいいと思います。税金の無駄遣いであるばかりか,国民や検察にとってマイナスになると思うからです。

 たまたまだめな上司の部下になってしまったらどうしたらよいでしょうか。各職場には1人や2人優秀な検察官や事務官がいるはずですから,そういう人物を見つけて親しくなり,どんなことでも相談し,いろいろなことを吸収することをお勧めします。検事,副検事だけでなく,検察事務官にも優秀な人が必ずいますから大いに学ぶべきです。

 ところで,警察,国税局,証券取引等監視委員会等の事件送致や告発を仕事とする側から見れば,第一線の検察官がいわば上司に当たる関係になります。彼らにとっては上司Aのような検察官が好ましいに決まっています。第一次捜査・調査機関に対しては,「これこれの問題があるから,これがクリアーできれば受けますよ。」といった積極的な対応をすべきだと思います。はじめから,だめだだめだといって事件説明さえまともに聞かないような態度はとるべきではありません。積極的に取り組んで,それでも問題が解決できなければ,仕方のないことであり,毅然とした対応をすべきことはいうまでもありません。
 第一次捜査・調査機関の「面従腹背」に気付かないでいると後でとんでもないしっぺ返しを受けることがあるので,「だめだめ派」の検察官は注意が必要です。

 昔,検察の幹部検事研修という趣旨の場に警察庁のOBが講師としてきて,検察の上級幹部の名前を何人か挙げて,「自分はその検事たちと一緒に仕事をしたが,彼らが偉くなったのは,警察のいうとおり仕事をしたからである。」旨の話をし,研修参加者がとても参考になりました,などといっていたので,腹が立ち「私も告発する側の仕事をしていたことがあり,そちらにいると何でもいうことを聞いてくれる検事はありがたい存在だというのは分かるが,その後検察に戻ってみると送致・告発する側の事件の評価や証拠収集にも問題があることが少なからずあるので,何でもいうとおりにするというわけにはいかないと思いますよ。」と発言したことがありました。検察のチェック機関としての役割は重要です。