取調べの可視化

 ある金融関連事件の公判において,捜査段階の供述の信用性を争っていた被告人や証人は,検察官による取調べの様子や意に反する供述調書に署名した理由について,公判廷で次のように供述しました。曰く

  • 本件の法的問題についての検察官の公的見解をはっきり示され,部下らの供述を含めて証拠が積み上がっているといわれ,否認するのは自分だけが逃げ出すことになると思った。社会に迷惑をかけたので,責任を取るべきだと思った。事実を認めて保釈してもらおうと思った。それで署名した。保釈後調書を読んだら全員が同じ基調で金太郎飴みたいな調書となっていた。私と同じ気持ちでみんな署名したのではないかと思った。
  • 自分が抵抗しても無駄だと思った。関係者が何人も自殺し,私も連日マスコミから取材攻勢を受け,精神的に追い詰められた。一度認めたことを覆すのは困難だと思った。地位に伴う責任ということを検察官から強調され,他人のせいにはできないと思った。体調が悪く拘置所から早く出たかった。
  • 他の被疑者や部下らは認めているといわれ署名した。検察官から机を叩かれたり怒鳴られたりして不安になり署名した。検察官に質問され,それに答えるということはあまりなかった。
  • 違うと言っても聞いてもらえず,塀の向こうで調べるか,あなたは乗り遅れているなどといわれ署名した。
  • 対応次第では戦線の拡大もあるということを念頭に置いて話をしろなどといわれ署名した。

 この事件では,弁護人が信用性を争うとしながらも被告人らの供述調書の取調請求に同意したため,取調べに当たった検察官の証人尋問は行われませんでしたが,従来通常であれば,取調官を証人に呼んで被告人らの弁解が本当かどうか弁護人や検察官が尋問を繰り返すということが行われていました。しかし,結局,いったいわないの水掛け論に終わり,真相が分からないまま証人尋問が終わるということがよくあったのでした。本件における被告人らの弁解の真偽は分かりませんが,私には,かなり説得力のある弁解供述であり,任意性はともかく調書の信用性の存在には疑いが残るように思えます。
 関係者に真実を語ってもらうためには,信頼関係を構築した上での説得が必要であり,明らかに嘘を言っているような関係者に対しては,厳しい追及も必要だと思いますが,弁解を封じ込めるような取調べを行うのは愚の骨頂であり,ろくな取調べもせずに,どう喝や手練手管を駆使し,検察が考える筋書きどおりにできあがった調書に署名させるようなことは絶対にあってはならないことだと思います。

 以上は検察についての話しですが,一般的な事件については,警察による取調べ,特に初期段階の取調べに注意が必要です。たとえば,強姦事件についての最初の取調べで,被疑者は,合意の上で性交したと供述したとします。しかし,警察官は,被害者は強姦されたといっているといって被疑者の弁解に耳を貸さずに執拗に追及し,「そんなことをいっていると逮捕するぞ。」などといって脅し,そのうち,「こういう事件は素直に認めていれば,示談が成立しやすいものだ。被害者にも君の意向を話しておいてやる。認めた方が君のためにもなる。」などといい,強姦を認める内容の供述調書を作成して,被疑者の署名を求めてきます。被疑者は,初めての経験ですから警察官のいうことを信用し,自分の考えとは全く異なる調書に署名してしまいます。警察官は,この調書を証拠に用いて裁判官に逮捕状を請求し,裁判官は,被疑者が強姦を認めているものと判断して逮捕状を発布します。被疑者は逮捕されて検察庁に送られ,検察官による弁解録取の際に,本当は強姦などしていないと訴えます。すると検察官は,被疑者は警察で事実を認めていたのに否認に転じたとして,罪証隠滅,逃亡のおそれがあると判断し,裁判所に被疑者の勾留を請求します。裁判所は,検察官の主張どおり10日間の勾留を認め,被疑者の弁護人が勾留は不当だと訴えてもこれまた耳を貸さず,10日間どころか,さらに10日間の勾留の延長を認めます。このようなことはしばしば行われていると考えて間違いありません。最初の違法・不当な警察調書が基礎になって,その後の手続がベルトコンベア状態で進められてしまうのです。現行犯逮捕された被疑者などは,なにがなんだか分からないうちに調書を作成されているはずですから,被疑者の調書の信用性を判断するに当たっては注意が必要です。若手の検察官には,こういう警察の取調べの実態や被疑者の心理状態を是非認識してもらいたいと思います。被疑者の弁解に耳を傾ける姿勢を常に保つことが必要であると思います。

 取調べは,そのほとんどが取調室といういわば密室で行われますから,その様子はその場にいた検察官、検察事務官,警察官,被疑者や参考人にしか分からず,証人尋問を行っても上記のようにいったいわないの水掛け論に終わることが多かったわけですが,これを客観的に明らかにしようというのが取調べの可視化,具体的には取調べの録音録画の制度です。
 可視化については,公の場でも私的な場でもいろいろな議論が行われており,徹底した考えを持つ人は,全事件の全部の取調べの様子を録音録画すべきであると主張していますし,緩い考えを持つ人は,取調官が,必要だと判断したときに必要だと思う場面を録音録画すればよいと主張しています。可視化など必要ないという人も未だにいるかもしれません。
 検察は,裁判員裁判制度が開始される3年ほど前から,裁判員裁判対象事件について裁判員にも分かりやすく任意性を立証するための手段のひとつとするべく,取調べの一部を録音録画する試行を開始しました。取調べは人格と人格のぶつかり合いであるとか,信頼関係を築けなければ真実を語ってもらうことはできないなどと昔からいわれ,私も被疑者や参考人といろいろな話をする中で信頼関係が築かれるものと思っており,録音機やカメラのある前で腹を割った本音の話などできるとは思えませんでしたので,当時は録音録画には本当のところ賛成できず,裁判員にも分かりやすい立証をするためには取調べの一部を録音録画するのもやむを得ないという考え(消極的賛成)でした。特に,政治家やその秘書,大企業の役職員等を取調べの対象とする特捜部の事件については録音録画の対象とすべきではないと考えていました。そういう人たちがカメラの前で自分や上司の不正行為を正直に話してくれるとはとても思えなかったからですし,カメラの前でそれぞれの人間性をさらけ出すような会話をすることは極めて困難であろうと思ったからです。

 私のこういう考え・立ち位置を見事に打ち砕いたのが,特捜部による中央省庁幹部らに対する郵便不正事件などといわれる一連の事件であり,国会議員やその秘書らに対する政治団体の会計処理に関連する一連の事件でした。これらの事件においては,検察官が,証拠物を改ざんしたり,多数の検察官が不適切な取調べを行って録取した供述調書を裁判所が証拠として採用しなかったり,事実と異なる内容の捜査報告書を作成して検察審査会の議決を誤導したのではないかと指摘されたりしたのでした。こうなっては私も「特捜事件の取調べこそ録音録画すべきである」という意見に抗うことはできないだろうと思わざるを得ませんでしたし,その後,特捜部等が扱う独自捜査事件については逮捕勾留した被疑者の取調べを録音録画する取り扱いになっています。「巨悪を眠らせない」ために仕事をしていたはずの特捜検事が不正義を行い,結果的に真相解明のための有力な武器のひとつであった取調べをカメラの前に引っ張り出すことになった上,特捜部はもとより検察全体の信用を貶めてしまったわけで,残念でなりません。

 「供述調書至上主義,供述調書偏重という川の流れ」がいつの間にかできあがり,そのときの上司や幹部の描く事件像にとって都合のいい供述調書を取ることができる検察官が優秀な検察官であるという「誤った評価の流れ」と合流して,氾濫を起こしたのだと考えています。残念ながら,この川の決壊部分を修復し,川全体を元の形状に戻すには相当長い時間がかかるように思えてなりません。

 話が少し横道に逸れたので,可視化の話に戻ります。
 可視化のメリットは,いうまでもなく,事後の検証を可能にすることにより,取調べの適正を確保することと供述の任意性・信用性の判断を容易にすることです。しかし,年間200万件にも上る全ての刑事事件の取調べの全過程を録音録画するというのは,費用対効果を考えただけでも現実的ではありません。録音録画など絶対に嫌だという被疑者もいるでしょう。また,たとえば,暴力団の組員が組長の指示の内容をカメラや録音機の回っているところで素直に供述するとは思えず,組織的犯罪については真相解明に悪影響がでる可能性を否定できません。可視化の議論は,録音録画の対象とする事件の範囲と対象とする取調べの場面の範囲を中心に行われることになると思います。
 なお,検察官が録音録画の記録を有罪を立証するために使用するのはおかしいとの主張がありますが、取調べの適正が確保された下での被疑者の供述を証拠として使用するのはむしろ当然だろうと思います。被告人が公判廷で事実と異なる供述をすることも残念ながらよくあることであって、捜査段階の供述を証拠から排除する理由も必要性もないと思います。

 捜査機関が不正義を行っていることが次々と明らかになっているのですから,取調べの録音録画は取調べの適正を確保するためや任意性・信用性の判断を容易にするために,もはや避けることのできない流れだと思います。私は,細かい手続きは別にして

  • 身柄拘束中の被疑者の取調べは原則として全事件について全過程を録音録画する。ただし,被疑者が拒否した場合等やむ得ない事情がある場合は録音録画しない。
  • 在宅事件の被疑者の取調べは原則として録音録画しないが、本人の要望があれば全過程を録音録画する。
  • 参考人等被疑者以外の者の取調べは原則として録音録画しないが、本人の要望があれば全過程を録音録画する。

というイメージでよいのではないかと考えていますが、今後の議論に注目したいと思います。

 検察における可視化は,警察に先行して行われているのが現状です。しかし,刑事事件のほとんどは,警察の捜査が先行して行われるので,警察の取調べの録音・録画もしなければ,録音・録画をする意義の多くが失われてしまいますから,彼らがどれだけ抵抗しようとも警察の取調べも録音・録画すべきであることはいうまでもありません。ただ,検察の録音・録画の範囲が先行して拡大していけば,たとえ警察の取調べが録音・録画されていなくても,録音・録画が行われている検察の取調べの際に,「警察ではこのような取調べを受けた。調書に書かれていることは自分が供述した内容とは全く違う。」などと,警察での取調べの様子を具体的に指摘する供述をしておけば,不十分ながら被疑者の防御に役立つことにはなるだろうと思われます。

 時代も捜査の在り方もひと昔前とは明らかに変化しています。前にも述べましたが,検察官には録音録画の下での取調べの経験を積み重ね,私が定義するところの自白を得る力を涵養してもらいたいと思います。これができれば本当の「割り屋」といえるでしょう。