物読み

 検察では,帳簿・伝票・手帳やメモ・パソコンのデータ等の証拠物を精査検討することを「物読み」といっています。インターネット,パソコン,携帯電話,スマートフォン等の普及により,情報通信や記録の手段・方法が大きく変化し,パソコンやスマートフォンに記録されたメールの内容や通話記録の分析・検討は,現代の捜査においては必要不可欠なこととなっており,これに多くの人や時間が費やされています。捜査機関側は,メールの内容を供述と同じくらい重要視し,犯罪の立証に役立つやり取りを必死で探すわけですが,被疑者側に有利なやり取りについては見落としがちですから注意が必要で,消極証拠の証拠化も重要です。
 私は,膨大な量のメールでのやり取りを読んで証拠化する作業などは幸いしたことがなく,そういった作業は苦痛以外の何物でもないと想像するわけで,今の捜査官には頭が下がります。
 しかし,物がある以上真剣に検討しなければなりません。たとえば,10人が犯行日は5日だと供述しても,手帳に犯行日が8日であることを示す記載があれば,事件が飛んでしまうからです。
 私は,検察の現場にいたとき,帳簿や手帳等の物読みをすることが大好きで,これを苦痛だと思ったことはありませんでした。捜索差押や任意提出を受けて入手した帳簿や手帳等を丹念に分析し,我々の知らない,隠された犯罪事実を見つけ出すことがとても好きでした。会社の総勘定元帳などは今はパソコンで入力されていますが,出来上がった元帳は昔も今も変わりありません。帳簿をボーッと眺めていても隠された犯罪事実を発見できるはずがなく,やはり経験や捜査官としての勘のようなものが必要だとは思いますが,長年犯罪を探す目と意識を持って帳簿等をみていると,そういった力も身についてくるものだと思います。そして,まずは帳簿や手帳の記載に「違和感」を感じ取ることが大切だと思います。

 たとえば,地方の小規模な建設会社Xの現金出納帳が手に入ったとします。この建設会社Xの手持ち現金は普段100万円もあれば十分で,帳簿の現金残高は100万円くらいで推移していました。ところがある日の現金残高が300万円くらいになり,その後入出金が繰り返されているのに帳簿上の現金残高は1か月間ほど300万円くらいのままだったとします。さらにその後,この300万円のうち200万円くらいが経費の支払いに充てられたと記帳され,元の100万円くらいの現金残高に戻っていたとします。

 これだけはっきりした例であれば,300万円の残高に違和感を覚えると思います。正規の支払いに充てられるのではなく,いわゆる領収書の出ない支払資金が必要になり,口座から200万円を引き出して現金を用意したのだろうと推測されます。しかし,この200万円が現金出納帳に記載されている経費の支出先A・Bに支払われているのであれば,問題はないわけで,それを確かめるにはその支出先A・Bから支払の有無を確認する必要があります。A・Bには突然行って帳簿を見せてもらいながら本当に支払があったのか確認するのが有効です。A・Bが,「Xの社長に頼まれて領収書を切っただけで現金は受け取っていません。この受け取ったことになっている現金は,これこれに使ったことにして帳簿から消しました。」とか「現金は受け取っていないので,帳簿にも載せていません。」といってくれれば,Xがいわゆる裏金200万円を準備したことが分かるわけです。
 Xの社長が,この200万円を贈賄の原資としたのか,愛人に手当を渡したのか,自分の株取引に使ったのか等々いろいろ考えられますが,そこは下準備をして,社長から事情を聞かなければ分かりません。社長が最初から真実を話すか,嘘の弁解をするか分かりませんが,よく話を聞いて,裏付け捜査をすることによって真相が始めて明らかになるわけです。
 贈賄したということであれば,金を受け取った悪い公務員を処罰できることになりますし,愛人手当であっても,「社長,これは経費として認められないから,修正申告して税金は払ってくださいよ。」というアドバイスができ,税収の増加に貢献できるわけです。

 物読みとは関係ありませんが,修正申告といえば,ある暴力団の組長が,わいせつ事件で捕まってきたので,組長の銀行口座を捜査をしたところ,ゴルフ場から多額の現金が入金になっていることが判明し,恐喝事件に違いないと考え,ゴルフ場の支配人に事情を聞いたところ,「後のことが心配なのでどしても被害届けは出せません。」といわれ,仕方なく組長に税金を納めさせたことがあったことを思い出しました。
 とても若い頃,土建屋さんの被疑者が,役場の職員を殴ってけがを負わせたという在宅の傷害事件が配点になって,警察の調書を読んでも動機がいまひとつ分からず,証拠物の手帳を見ていると事件の1か月くらい前の日に「50」という記載がありました。この記載も何を意味するのか分かりませんでしたが,被疑者を呼んでよくよく事情を聞いてみると,「役場の職員に50万円を渡して土木工事が取れるように頼んだのに工事が取れなかったので,腹が立ち殴ってしまった。」ということでした。それで警察本部の捜査2課と一緒に贈収賄事件の捜査をしたことがありました。
 また,若い頃,銀行の預金口座を勝手に作られたという内容の私文書偽造の送付事件(警察から検察に送致される事件のうち,告訴事件等については,特に送付事件と呼ばれています)の記録を検討し,その口座が,ある県会議員が経営する会社の脱税した資金を隠して置く口座であること(いわゆる「たまり」)を突き止め,国税局と一緒に同社の法人税法違反を摘発したことがありました。

 小さな事件でも若い頃から問題意識を持って捜査し,物読みも怠らずにしていれば,きっと捜査官としての「勘」を養うことができると思います。

 最近,私が所属している法律事務所で扱っていた民事訴訟事件の絡みで,ある刑事事件の告発を依頼され,帳簿読みをする機会がありました。検察にいても,ある程度の幹部になってしまうと,自分で物読みをしようとしても部下から「止めてください。我々の仕事です。」などといわれてしまい,帳簿を読むこともできず,つまらない思いをしていたものでしたが,弁護士になるとそういったことも自由にできるので,本当に久しぶりに帳簿を読んで犯罪事実を見つけることができました。自画自賛になりますが,検察の現役時代に培った勘や技術はまだまだ衰えていないと思いました。もちろん何の訓練も受けていない一般の弁護士に効率のいい帳簿読みができるとは思えませんので,検察での経験は弁護士になっても役立っているということです。