総会屋に対する利益供与事件

 私が,東京地検特捜部で,A代議士関連の証券取引法違反の捜査を始めたのは,1997年(平成9年)の夏ころだったと思います。さらにその1年ほど前の平成8年夏ころ,私は,当時出向していた証券取引等監視委員会特別調査課で,いわゆる4大証券会社による総会屋に対する証券取引法違反(利益供与事案)の調査を開始しました。

 私は,平成6年7月,東京地検特捜部から証券取引等監視委員会特別調査課に出向し,平成9年4月,特捜部に戻るまで,特別調査管理官という肩書きで仕事をしていました。
 証券取引等監視委員会は,平成4年7月に設立されたばかりの組織で,私は,設立3年目の特別調査課に出向することになったわけです。証券取引等監視委員会事務局は今は大所帯になっていますが,当時は特別調査課と関東・東海・近畿の財務局の特別調査官を合わせても実働部隊40名程度の少人数で,特別調査官は,国税局,公正取引委員会,会計検査院,大蔵省,財務局等からの出向者の寄せ集めで,取調べに相当する質問調査の経験者は,国税局査察部からの少数の出向者だけという状態でした。特別調査課には管理官であった私を含め検事が2名出向しており,特別調査官による調査の指揮や指導,検察庁との連絡調整などに当たっていました。
 それでも,著名な弁護士によるインサイダー取引事件,当時ちょっとした流行語になった「風説の流布」事件,バスケット条項を適用したインサイダー取引事件,中小証券会社の損失補てん事件などかなりの事件を東京・大阪・名古屋の特捜部に告発していました。
 いずれも新しい分野の事件であったため,最高裁判所の判例になった事件もいくつかありました。

 その情報は,平成8年夏ころ,証券取引等監視委員会事務局総務検査課の取引審査係からもたらされました。業界最大手のC証券会社が,素性の分からないDという会社に利益提供しているかもしれないというもので,E銀行株の取引が不正を行うために利用されているのではないかということでした。
 D会社の商業登記事項証明書や役員の戸籍などを調べると役員の親族に総会屋のFがいることが分かりました。D会社は,古いビルの一室にあり,年配の男がひとりぽつんと机に向かっているだけで,とても大量の株取引が行える資金を有しているとは思えない会社でした。そこで,4大証券会社等にD会社や役員,Fらの証券取引口座の有無や取引内容を照会し,さらに取引資金の流れを解明するため銀行口座の照会等の基礎調査を行いました。すると,総会屋のFらが,4大証券会社はもとより,大手銀行を含む多数の上場企業の株式を保有していることが分かりましたし,最初の情報にあったC証券会社での取引資金は,小規模な証券金融会社から借り入れられ,その金融会社には,大手G銀行の資金が流れていることも分かりました。
 Fについても調べましたが,特に有名であったわけでもなく,陰の実力者であるといった情報も入らなかったと思います。

 とっかかりのC証券会社に開設された総会屋F側の証券口座の取引内容を分析すると,C証券会社が自己売買をして利益が確定している取引を,F側からの委託注文による取引であると装い,F側の口座に付け替える手口で利益を提供していることが判明しました。
 この付け替えの手法が,解明できたのは,これより前に摘発していた中小証券会社による損失補てん事件でも使われていた手法であったからで,そのときは東京証券取引所との交渉等で大変苦労したものでしたが,その事件を通して自己売買を委託取引に付け替える不正を解析するノウハウを特別調査課は得ていたのでした。
 これを簡単に説明すると,自己売買の注文を出すときには,たとえば「1」と入力し,委託取引の注文を出すときには,たとえば「2」と入力するルールがあったとすると,東京証券取引所のホストコンピュータ上の当該取引の記録が「1」であるのに,証券会社の記録は「2」に変わっているわけで,東証の記録は変えられませんので,証券会社の記録が変えられたことが強く疑われることになるわけです。
 当時,東証のホストコンピュータ上には,一つの取引注文につき何十桁もの数字が並んで表示されており,その数字が置かれた位置で,銘柄,数量,売り買いの別,委託・自己の別,金額等が分かるようになっていて,それをひとつひとつ解析することによって利益提供の実態が解明できたのでした。

 基礎資料を整え,C証券会社から証拠物の任意提出を受け,質問調査を開始しましたが,C証券会社側は,利益提供の事実すら否定していました。
 特別調査課では当初少人数で調査を行っていましたが,C証券会社側の抵抗が強かったため,特別調査官の態勢を強化する必要が生じました。特別調査課では,当時他の案件の調査も行っていましたが,それらを全て中止し,全員で利益供与事件に取り組む必要があると思い,私は,検察出身の初代証券取引等監視委員会委員長に相談に行きました。
 当面の調査対象は,総会屋F及びその関係者とC証券会社及びその役職員ということになりますが,当時は大蔵省証券局が,「C証券会社霞ヶ関出張所」などと揶揄されていた時代であって,同省にも大きな影響があると考えられ,4大証券,G銀行等にも調査が及び,場合によっては,同省や監視委員会の職員の不祥事がでてくるかもしれない重大な事案であると思われ,もちろん証券取引等監視委員会だけで調査が完結し,告発できるような事案ではなく,東京地検特捜部との連絡・共同も不可欠となる事案でした。
 証券取引等監視委員会の事務局幹部には大蔵省の職員が就いていて,「全員を投入しても調査がうまくいかないこともあり得る。その場合には他の案件の調査が進まず,特別調査課の事務が著しく滞ることになるので,全員投入には反対である。」という表向きの理由で調査態勢の強化に異を唱える幹部がいましたが,彼らが反対した本当の理由は別のところにあったのかもしれません。

 私は,委員長室に赴き,委員長に上記の事情を報告した上,特別調査課の調査官全員を投入して本件調査を行いたい旨意見を述べました。それに対し,委員長は,たぶん私が一生忘れることのない

  おやりなさい。徹底的におやりなさい。

という言葉を返してくださり,とても感動したものでした。調査にはいろいろな困難が待ち受けていることは予想され,各方面からの圧力もあるかもしれないが,証券取引法に違反する大きな不正の存在が浮かび上がってきた以上,たとえ相手が証券業界のリーダー的存在であれ全力で取り組めということだと理解しました。

 委員長は,いわば私の上司に当たる人で,そのとき,異なる考え方をする委員長であったなら,その後,他の3大証券会社による総会屋への利益供与事件,G銀行による総会屋への迂回融資事件(商法違反),日本銀行幹部職員・大蔵省検査官・日本道路公団理事らに対する贈収賄事件等へ広がりをみた一連の事件のいわば端緒となった,C証券会社に対する調査がどうなっていたか分からないと思います。
 私は,上司というのは初代委員長のような存在であるべきだと思います。前に書いた上司Bであれば,きっと尻込みするでしょう。なんだかんだと理由をつけて調査を終結させる方向に動くに相違ありません。その結果,未だに企業と総会屋との腐れ縁を存続させていたかもしれません。初代委員長は,長い間特捜部で捜査に携わり検事長も務めた人で,きっとC証券会社事件の筋が読め,これは大丈夫だと考えておられたのだと思います。その結果,企業と総会屋との関係は,今ではずいぶんきれいなものになっていると思います。

 この事件よりずいぶん後のことになりますが,私が名古屋地検特捜部長のとき,名古屋刑務所の刑務官による受刑者に対する特別公務員暴行陵虐致死傷事件(刑務官らが,懲らしめ目的で,受刑者の腹部に巻き付けた革手錠を強烈に締め付けて,受刑者1人を死亡させ,1人に重傷を負わせた事件及び消防用ホースを使って受刑者の臀部目がけて放水し,直腸裂開等の傷害を負わせて受刑者1人を死亡させた事件),いわゆる名古屋刑務所事件の捜査を担当したことがありましたが,このとき特捜部に捜査を命じた検事正も立派な人だったと思います。この事件もいろいろな組織に影響を及ぼし,国会等でも大々的に取り上げられることになる事件でしたが,当時の検事正は,真相を解明すべき事件であると判断し,当時人員的に問題のあった刑事部から特捜部に事件を移し,徹底解明を命じたのでした。
 初めに捜査に着手する事件となった革手錠重傷事件について,上級庁の幹部の中には,「こんなものは業務上過失致傷だろう」などという人もいましたが,そういう上司のいうことに従う必要はありませんので,もちろん,その幹部も説得した上で,徹底した捜査を行い,その後の革手錠死亡事件,放水死亡事件も解明することができました。この一連の事件でも刑務所側の組織的な抵抗を受けましたが,一件一件任意捜査を行って,その後強制捜査に移行するというオーソドックスな捜査手順を踏んで捜査を遂げ,真相を解明できたと思っています。
 この事件の後,監獄法が廃止になりました。

 総会屋に対する利益供与事件も名古屋刑務所事件も,うやむやなまま終わらせることは,不可能ではなかったと思いますし,それを望む人は大勢いたと思いますが,検事は,法と証拠にのみ基づいて仕事をしなければならず,いかなる圧力にも左右されてはなりません。また,頑張れば証拠が収集できるのに,難しいとか面倒だといって逃げ出してはなりません。

 特別調査官は,C証券会社の多数の関係役職員の質問調査を行いましたが,利益提供の事実すら否定する状態で年末を迎えました。私は,特捜部の担当検事に適宜情報を入れていましたが,忘年会かなにかの席で,地検の幹部から「リュックサック一杯の事件を持ってこないと特捜部に戻さないぞ。」などと冗談とも本気ともとれることをいわれたりしていました。
 年が明けて,平成9年になっても調査の膠着状態は続きましたが,粘り強く調査を進めていると,3月初めになって,C証券会社の役員が,記者会見を開き,D会社へ利益提供していた事実を認めました。ただ,D会社が総会屋と関係があるとは知らなかったという内容だったと思います。
 委員長あたりの力がC証券会社に働いていたのかもしれませんが,特別調査官の粘り強い調査,利益提供の手口の解明等が,C証券会社の対応の変化に影響を与えたことは間違いないと思います。

 こうなると動き出すのが特捜部です。それまではあまり乗り気でないような態度をとっていたのですが,C証券会社が記者会見で利益供与を認めると,詳細な資料の提供を求めてきたり,打ち合わせをするようになりました。
 C証券会社に対する捜索は,年度末の3月25日に決まりました。検察は4月に定期異動があり,マスコミも3月下旬にガサをするとは思わないだろうというのが理由だったと思います。東京地検特捜部と証券取引等監視委員会の合同ガサということになるわけで,私は,情報が漏れるのをおそれ,本当に信頼できる数名の部下だけに事情を説明し,捜索差押え令状の請求手続の準備をしてもらいました。
 そして,3月25日の当日に急きょ委員会を開催してもらい,東京地検と合同で捜索差押えを行うことの了解を得,特別調査官にガサに向かってもらったのでした。証券取引等監視委員会事務局幹部の中には,急な話に驚き,委員会への出席を渋ったり,あちこちに電話をしている人がいましたが,いったいどこに電話していたのでしょうか。

 その後この事件は,特捜部により,5月にC証券会社の役職員・総会屋Fらの逮捕,G銀行のガサ,7月にG銀行の役職員逮捕等々と続いていきます。